一九八五年には、アルコールに加えて麻薬に溺れていた。大方の薬物常習者と同様、それでも辛うじて仕事だけは続けられる状態だった。書けなくなることを考えると背筋が寒くなった。今さら別の生き方は思いもよらない。私はあの手この手で薬物を隠したが、これも恐怖からだった。薬が切れたらどうなるだろうか? 私は誘惑を斥け、堅固に身を持する姿勢を忘れていた。またしてもツタウルシで尻を拭いているようなもので、それも毎日のことである。しかし、助けを求めるわけにはいかなかった。私は凭れ合いを嫌う家庭環境で育っている。煙突のように煙草を吸って、ジェローの粉にまみれて踊り、自分のことは自分のことと割り切るのが私の家の流儀だった。
とはいうものの、私の中で作品を書き続け、『シャイニング』を完成した一九七五年にすでに自分のアルコール依存に気づいていたもう一人の私はこれを受け入れなかった。この堪え性のないもう一人の私は、たちまち救いを求めて声を限りに叫びだした。そんな私にわずかに開かれている道が、創作と、薬物耽溺だった。一九八五年の末から八六年のはじめにかけて、私は『ミザリー』を書いた。ある作家が狂気の看護婦に監禁され、虐待される話で、悲惨や苦難を意味するこの題名は、いみじくも、当時の私の精神状態を物語っている。一九八六年の春夏には『トミーノッカーズ』を書いたが、脈拍が一三〇に跳ね上がり、コカインにやられた鼻の孔に脱脂綿を詰めて出血を押さえながら、深夜まで仕事をすることもしばしばだった。
『トミーノッカーズ』は一九四〇年代のスタイルを真似たSFで、主人公の女流作家は地下に埋もれた異星人の宇宙船を発見する。乗組員は冬眠状態で生きている。この異星人、トミーノッカーが付近の住民に乗り移ってところ構わず社会不安を引き起こすのである。住民はエネルギーを与えられ、ある種の技術力を身につける。作家のボビー・アンダースンはテレパシーで動くタイプライターや、原子温水器や、その他もろもろの機械装置を発明する。が、トミーノッカーズに魅入られた犠牲者は、特殊能力と引き換えに魂を売り渡しているのである。この作品はぼろぼろに疲弊した私の精神がやっとのことでひねり出した麻薬とアルコールの寓話だった。
